『九龍ジェネリックロマンス』が休載…作者・眉月じゅんの決断と、その裏にある物語への“祈り”

そのニュースを目にした瞬間、胸のどこかが“ふっ”と静かに沈んだ。『九龍ジェネリックロマンス』が一時的に休載──。大きく報じられたわけでもない。けれど、ずっと物語を追いかけていた人にとっては、それだけで一日分の感情が揺らいでしまうような出来事だった。

街の喧騒に似た九龍の風景。仮初めの記憶と、どこかで確かに存在した愛情。そして、登場人物たちが懸命に抱え続けていた“過去”。そんなすべてが、ある瞬間で“止まる”という事実に、どう向き合えばいいのか。

でもきっとこれは、悲しい話じゃない。むしろ物語が、自ら静かに深呼吸するための時間なのだと思う。今回は、なぜこのタイミングで休載という選択がなされたのか──その背景と、そこに込められた“祈り”のような想いについて、言葉にしてみたい。

作者・眉月じゅん──感情を描く、その手つき

眉月じゅんという作家の魅力は、派手な展開やサプライズじゃない。むしろ、その反対だ。彼女の描く物語には、誰にも見えない“心の襞（ひだ）”が、そっと織り込まれている。

たとえば『恋は雨上がりのように』。年齢も立場も違うふたりの間に流れる、あの静かな空気。言葉にできないまま胸の奥に沈めた感情。それを彼女は、セリフで説明することなく、表情や仕草、沈黙の間で伝えてみせた。

『九龍ジェネリックロマンス』でも、その感情の手つきは変わらない。九龍という“もう存在しない都市”を舞台に、過去と現在が交錯する構造のなかで、彼女は“想い出の手触り”を描こうとしている。人が誰かを好きになるときの、理屈じゃない違和感や確信。それを、あくまで物語の中に沈めて、読者に「感じさせる」方法を選んでいる。

感情は、本来、言葉にならないものだ。だからこそ、眉月じゅんの作品は読むたびに、心の奥の“まだ名前のついていない感情”を呼び覚ましてくる。そうして僕らは、気づかないうちに、自分自身の記憶や痛みと向き合っている。

なぜ今、休載なのか──伏線、終盤、そしてメディア展開

『九龍ジェネリックロマンス』という物語は、初期の頃から“どこか終わりを見据えている”ような空気を纏っていた。それは、明確なゴールを見せないまま、ゆっくりと登場人物たちの関係と記憶を編み上げていく作風にある。

だからこそ、いよいよ物語が終盤に差し掛かった今、眉月じゅんは筆を止めた。理由は明確だ。この物語を、正しく、誠実に着地させるため。伏線を丁寧に回収し、読者にとっても、キャラクターにとっても“嘘のない終わり方”を届けるための時間が、必要だった。

そこに重なったのが、アニメ化と実写映画化という大きなメディア展開。2025年春から始まったTVアニメ、そして夏に控える映画は、多くの新しい読者との出会いを生む。一方で、それは創作のスケジュールを激しく揺さぶる波でもある。

ただ、これは不運ではない。むしろ、今このタイミングで休載を選べたことが、作品と作者の強さの証拠だと僕は思う。すべてを中途半端にせず、それぞれに真摯に向き合う。それが眉月じゅんという作家の、いちばんの“物語への姿勢”なのだから。

止まる勇気──物語と再び向き合うということ

連載という形式において、“止まる”ことは、時に“逃げ”と誤解される。描き続けることが美徳のように語られるこの世界で、立ち止まるという判断には、計り知れない覚悟がいる。

でも、眉月じゅんは、その勇気を選んだ。理由はひとつだと思う。物語に対して、嘘をつきたくなかったのだ。

結末へと向かうこのタイミングで、彼女は一度ページを閉じ、もう一度、登場人物たちの“感情の深さ”を見つめ直そうとしている。絡まった伏線を解きほぐすのではなく、その一本一本にどんな気持ちが編み込まれていたのかを、手のひらで確かめるように。

これは、“止まった”のではなく、“黙った”のだ。声にならない想いを、ちゃんと聞き取るために。漫画という表現が、どこまで感情に寄り添えるのか──その限界の先を、彼女はまた探ろうとしている。

そしてきっと、その静かな決意の先にある物語は、私たちの心をまた優しく、でも確かに揺らしてくれるはずだ。

広がる世界──アニメ化・映画化による“解釈”の多様性

2025年4月。『九龍ジェネリックロマンス』はテレビアニメとして放送を開始し、同年夏には実写映画の公開も控えている。まるで物語が、その枠を超えて一気に“解き放たれる”ような感覚だ。

声を持たなかったキャラクターに命が吹き込まれ、白石晴香さんの令子が、杉田智和さんの工藤が、あの九龍の風景に色を与えていく。そして、実写では吉岡里帆さんと水上恒司さんが、過去と現在を揺れ動く“記憶の物語”に新しい息吹をもたらす。

その一方で、原作ファンの中には、こうしたメディア展開に対して戸惑いを覚える人もいるだろう。静かに、静かに感情を沈めていくあの物語が、映像によって“言葉”や“演出”で輪郭を与えられてしまうことに、少し怖さを感じる気持ちもわかる。

でも、思うのだ。作品が他のかたちで語られることは、決して“原作を壊す”ことではない。それは、物語が持っていた“余白”を、別の誰かが別のかたちで埋めていく行為なのだ。

解釈が増える。それは、物語が生きている証拠だ。作者の手を離れたあとも、読み手や観る者によって、新しい形を与えられ続ける。それほど『九龍ジェネリックロマンス』という作品には、まだ語られていない感情が、たくさん詰まっている。

再開はいつ？──“待つ”というもうひとつの物語

物語が止まるとき、私たち読者は、ひとつの「間（ま）」を手渡される。それは、続きをただ受け身で待つ時間ではない。むしろ、物語の余韻とともに、自分の中で“続きを想像する”時間なのかもしれない。

現在のところ、『九龍ジェネリックロマンス』の正式な再開時期は発表されていない。週刊ヤングジャンプでは過去にも短期の休載があり、多くは1〜3か月で復帰しているが、本作においては終盤構成やメディア展開との調整という背景もあり、もう少し時間がかかる可能性もある。

でも、それでいい。物語が誠実に完走されるのなら、僕らはいつまでも“待てる”から。なぜなら、読み終えたあとに心に残るものは、ストーリーの鮮やかさだけじゃない。「この物語と出会えてよかった」と思える、その体験そのものだから。

そして、その体験は、たとえ物語が“止まっている”間でさえ、静かに続いている。待つということは、信じることでもある。物語がふたたび動き出すその日まで、僕たち読者もまた、それぞれの“物語”を生きているのだ。

まとめ──物語は、止まっても、終わらない

『九龍ジェネリックロマンス』が一時的に休載となったことは、確かに小さな衝撃だった。でも、その“静けさ”に耳を澄ませてみると、そこには一つの誠実な声があった。

「ちゃんと描きたい」。きっと眉月じゅんは、そう思ったのだと思う。伏線を、記憶を、言葉にならなかった想いを、丁寧に、最後まで届けるために。

だから僕らも、安心して待っていられる。物語は今、深く息を吸い込んでいる最中だ。その息が吐き出されるとき、きっとまた私たちの心を、やさしく震わせてくれるだろう。

物語は、止まっても、終わらない。むしろ、本当に大切な物語ほど、一度“止まる”ことで、もっと遠くまで届いていく。

そしてその続きを、誰よりも待ち望んでいるのは──きっと、あなた自身なのだ。