たとえば、誰かの小さな“声”が届く瞬間に、
自分の中の何かがふっと解け出すことがあります。
『うたごえはミルフィーユ』第1話は、そんな“解けた心”を、ゆっくりと拾い上げてくれるような優しい物語でした。
初放送は2025年7月17日(木)21:25〜TOKYO MX 他。
その瞬間、画面のこちら側でも、小牧嬉歌――彼女の声が、そっと世界を広げはじめていました。
- アニメ『うたごえはミルフィーユ』第1話の放送日とあらすじ
- 主人公・小牧嬉歌(ウタ)の性格と“声”への向き合い方
- アカペラをテーマに描かれる人間関係と物語の静けさ
第1話 放送情報──“声が重なる夜”が、そっと始まる
誰かの心が、静かに動きはじめる夜があります。
『うたごえはミルフィーユ』の第1話は、まさにそんな夜に、そっと生まれました。
アニメの第1話「軽音デビュー!?」は、2025年7月17日(木)21:25〜にTOKYO MXにて初放送。
続いて、7月18日(金)24:30〜にはBSフジでも放送され、
その音は少しずつ、視聴者のもとへと広がっていきます。
ABEMA・dアニメストア・U-NEXTなどの配信サイトでも、
7月17日22:30〜順次見逃し配信がスタート。
リアルタイムで見逃した方も、あとから“その声”に追いつくことができます。
放送や配信の時間が、まるで“声が交わるハーモニー”のように、
それぞれの生活に寄り添ってくれるようで──
この作品らしい、やさしいスタートだなと思います。
たとえば忙しい日常のなかで、ほんの少しの静けさがほしくなったとき。
このアニメの第1話が、その静けさのなかで、
あなたの中に“音の居場所”をつくってくれるかもしれません。
主人公・小牧嬉歌(ウタ)はどんな子?──“声が重なる”その中心にいる存在
たとえば、誰かの声が心に残るときって、
その声の「うまさ」ではなく、「まっすぐさ」に打たれたからじゃないでしょうか。
『うたごえはミルフィーユ』の主人公──小牧嬉歌(こまき・うた)は、まさにそんな“まっすぐさ”を持った少女です。
彼女の名前には「うた」と読みを添えて、「歌うこと」を宿命づけられたような響きがあります。
中学時代は声楽部に所属していたウタ。
でも今は、その“経験”にどこか引け目を感じながら、新たな高校生活をはじめたばかり。
まるで、自分の声をどう扱えばいいのか、まだ手探りしているような、そんな雰囲気をまとっています。
けれど、彼女の声には──確かに「誰かと重なろう」とする意志がある。
それがバンドとの出会いによって、少しずつ“音”になっていく過程が、
この物語の核になっていくのです。
小牧嬉歌は、目立ちたがりでも、天才肌でもありません。
でも彼女の中には、「声で誰かに触れたい」という、
静かで誠実な願いが宿っています。
その声が、やがて仲間たちと重なり、
“ミルフィーユ”のように音が層になっていくとき──
きっとあなたも、この子を好きになっていると思います。
第1話『軽音デビュー!?』──“声を重ねる”そのはじまり
4月のある日、声を出すことにぎこちなさを抱えた少女が、高校の門をくぐります。
それは、不器用だけれど、“その一歩”を踏み出そうとする――
そんな小牧嬉歌(ウタ)の物語が、ここから静かに始まります。
軽音デビューのはずが、心は真っ白に──
ウタが目指していたのは“軽音部”での高校デビュー。
でも実際に部室の前まで来ると、緊張と不安、そして躊躇が重なり、
彼女の心はまるで白いキャンバスのように固まってしまっていたのです。
偶然の出会い、アカペラへと導かれる声
そのとき目の前に現れたのが、アカペラ部の先輩たち。
軽音部とは違う“声だけで紡ぐ音”の不思議さに、
ウタは思わず引き込まれていきます。
「声が重なる──それだけで、居場所が生まれるんだ」
そう感じさせてくれる、新たな選択のはじまりの瞬間でした。
ぎこちない声の間に、確かな温度
部室で試したのは、まだぎこちない音合わせ。
音程もリズムもそろっていない、でも――
それぞれの声がすこしずつ重なり合っていくとき、
空間が静かに温まっていくのが感じられました。
──それはまるで、小さな灯りがひとつ灯されるような、
そんな瞬間でした。
ウタが抱いた“声の可能性”
この一歩は、強い宣言でも才能の披露でもなかった。
それでも、ウタにとっては“声でつながる可能性”を感じた瞬間だったはずです。
“歌いたいけれど怖い”──そんな気持ちを抱えたままで、
彼女は自分の声で誰かと“共鳴する喜び”を、そっと知ったのです。
この物語は、これから“声のミルフィーユ”へと重なっていく少女たちの軌跡。
ぎこちない“そのはじまり”が、実はとても大切であることを、
第1話は気づかせてくれます。
“歌う”でもなく、“歌われる”でもない、
声が“共にある”という静かな時間。
だから、見逃さないでほしい。その“静かな一音”を。
アカペラが紡ぐ、繋がりの音──“言葉よりも、近くにある声”
楽器がないということは、音で飾れないということ。
そして飾れないからこそ、“声そのもの”が真っ直ぐに響くのだと思います。
『うたごえはミルフィーユ』が描くアカペラは、
単に歌を披露するための手段ではありません。
それはもっと静かで、もっとあたたかくて、「声でつながること」そのものが目的になっているのです。
“音楽”よりも、“まなざし”に近いもの
歌詞や音程、リズムだけでは届かないものがある。
アカペラという形をとるこの物語は、
それを“声の重なり”として伝えようとしているように思います。
一人では出せない音、一人では見つからない響き。
そこにあるのは、「一緒に歌うことでしか生まれないもの」への静かな敬意です。
誰かの声に、そっと寄り添う
ウタたちが始めたアカペラには、派手な演出も、大きな舞台もありません。
あるのは、音を合わせようとすること自体が、誰かを思う行為になっているという事実です。
音を外さないように。
遅れないように。
邪魔にならないように。
そうして耳を澄ますその姿勢が、そのまま“優しさ”になっているように感じられるのです。
ひとつの声が、ふたつになって、重なって──
それは、誰かの心に歩み寄るような、
とても静かな、でも確かな繋がりの音です。
アカペラとは、そうやって“沈黙の間”すら音楽にしていくものなのかもしれません。
『うたごえはミルフィーユ』は、アカペラを通じて、
「言葉にしなくても伝わる」ことの存在を教えてくれる作品です。
──だから、騒がしくない。
でも確かに、心の深いところまで届いてくる。
そんな繋がりの音が、この物語にはそっと流れています。
“静けさの余白”に触れた、ひとつのまなざし
感想というよりも、
たぶんこれは「心に残った空気」を、そっと言葉にしてみたものなのだと思います。
『うたごえはミルフィーユ』第1話を見終えたとき、
どこか胸の内側で、ふわっと音が響いたような感覚がありました。
それは何かが動いたというよりも、何かが“そこに在る”ことに気づいたような──そんな静かな気持ちでした。
主人公・ウタの声は、歌うときよりも、
“誰かの声を聴いているとき”のほうが深く残るように感じました。
それって、彼女が言葉で主張するよりも先に、“聞く”ことで繋がろうとしているからなのかもしれません。
自分が前に出るのではなく、
誰かと「重なりたい」と願うような、やわらかな在り方。
たぶんそれが、この物語の持つ静けさの根っこにあるものなのだと、そんなふうに思いました。
“アカペラ”って、音を重ねること以上に、
「沈黙と沈黙のあいだ」をどう受け止めるか──そんな表現にも感じられます。
だからこの作品は、声を張り上げるよりも、そっと重なることの美しさを描いているように思うんです。
きっとこれから、この静かな物語に、少しずつ色が重なっていくのでしょう。
その重なりが、歌ではなく“関係”として響いていくことを、
私は静かに、でも楽しみに待っていたいなと思っています。
続きが気になる人へ
たぶんそれは、物語の続きを知りたいというより、
「この空気の中に、もう少しだけ浸っていたい」と思ってしまった、そんな感情なのかもしれません。
『うたごえはミルフィーユ』の第1話は、決定的な何かが起こるというよりも、
“始まりの予感だけをそっと手渡してくれる”ようなエピソードでした。
だからこそ、「続きを早く見たい」というよりも、
「あの子たちの声が、次はどう響くのか」を静かに待ちたくなるのだと思います。
物語はまだ、はじまったばかり。
でも、そのはじまりには、これからを期待させてくれる“静かな熱”が、ちゃんと宿っていました。
もしあなたが、
「次もこの気配に包まれたい」と思ったなら──
その感覚は、きっとまちがっていません。
公式サイトでは次回予告や放送スケジュールも随時更新されています。
声を重ねていく彼女たちの物語、その続きを、ぜひ見届けてください。
- 第1話は2024年7月7日より放送開始
- 主人公は“声にトラウマ”を抱える小牧嬉歌(ウタ)
- 物語は軽音部とアカペラとの出会いから始まる
- “声を重ねる”ことがテーマの静かな青春群像劇
- アニメは優しさと余白に満ちた空気感が魅力
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